グッバイブルーバード

処理しても処理しても一向に減る気配のない請求書に嫌気がさして、珈琲でも飲もうかと台所へ。

出勤して請求書をさばき続けて昼飯をとってさばき続けてそれでも終わらずにとうとう夕方である。
空は真っ赤に染まっていた。赤いなあ、まるでうちの帳簿みたいだなあと考えてあんまりにも残念な思考にため息が出てくる。
どうやら長時間の事務仕事は脳に多大なる疲労をもたらしたようだ。
ずっと同じ姿勢をとり続けたせいか固まりかけている肩をぐるぐる回しながらガスのスイッチをひねる。カチカチカチと音がするばかりで点火する気配なし。このところ調子がよくなかったので、マッチをすって火をともそうと思ったらマッチ箱は空っぽだった。

うーん。事務所の存続のためにけなげに頑張る俺にたいするオモイヤリンやヤサシニウムが空間から欠損しているようだ。

端的にいえばツイてない。

もともとゴリゴリと削られていたやる気があえなくぽっきり折れたため、珈琲をあきらめて冷蔵庫から酒瓶をとりだす。
深い青の瓶の中には痛烈なまでにさわやかな辛みをもつ透明な液体が詰まっている。
度数が高くてお手軽に酔える、実に安易な快楽への扉。しかもお財布にやさしいので最近のお気に入りである。本当は外に一杯ひっかけに出たいのだけれど、事務所の財政状況に連動した俺の懐事情はそれを許してくれない。
仮にも十三階梯だというのになぜこんなに赤貧にあえいでいるのか。あんまりにも暇な脳みそがアルコホルの力を借りてゆっくりと回り出す。


名の知られた到達者級の咒式士の多くは、値の張る服を着て、高級車に乗り、贅沢な食事をする非常に金のかかる暮らしをしている。そうでなくとも金に困っているということはない。当たり前だ。そこに至るには並大抵でない金銭に限らぬ投資があり、それを借り受けるには相応の対価が必要だ。
そして相応の対価である高価な依頼料を顧客に払わせるのはその咒式士の知名度と信用である。

つまり、派手な生活はブランディングなのだ。

自分にはこれだけの生活を維持できるだけの財力があり、ひいてはその財を築くに足る実力があるというアピールなのである。うちの事務所の依頼料が相場から比べて激安なのはこの辺に理由がある。
できる咒式士アピールができない→知名度や信用に欠ける→高い依頼料では客が来ない→依頼料が安くなる→儲からない→アピールに金なんか回せない。
以下えんえんと続く悪循環の無限ループである。
ただでさえ抜け出せないループにはまっているのにそんなことに考えがおよばないあほっ子な金食い虫がうちの事務所にはいるので、閑古鳥の鳴く事務所で一日中事務仕事なんてことになる。

だが、この状況から抜け出すのはたぶんそこまで難しくない。一般に名が知れてないとはいえ攻性咒式士の中では俺たちはそれなりの知名度がある。特にギギナは。
ここを捨てて、もしくは合併をどこかに持ちかける。ラルゴンキンは確実に拾ってくれるだろう。
名の知れた事務所の一員となれば知名度や信用の欠如は補えるし、相場通りの適正な価格で依頼を受けることができる。
人間になりそこなってる残念なドラッケンと周りの関係にはやや苦慮しそうだが、実力のあるものに囲まれた環境はあいつにとっても結局は有益であるし、それなりに時間をかければ落ち着くだろう。

そこまで考えて、広がった思考をぐしゃぐしゃに丸めて彼方に忘却する。

だって無理だ。俺は、俺たちは、ここを離れられない。
ここでしか、生きていけないのだから。

だからこの事務所の状況がよくなるなんてことはないし、俺はいつまでも事務仕事に追われ続ける。ギギナはこれからも元気に浪費しまくるだろう。
平凡で退屈な仕事をこなし、時折死にかけながら。

手元の酒を一気に飲み干す。降ろした酒杯は卓にぶつかって、コン、と高い音を立てた。

さようなら幸せの青い鳥。こんにちはくそったれな現実。次に会う時青い翼は血塗られた色に染まっているんだろう。
血と泥と退屈にまみれた平穏の中の幸福。残念なことにこの形でしか幸せになれないのだ。






「約30の嘘」様のお題「グッバイブルーバード」より

Back